スーパーボランティア 尾畠春夫さん名言集
行方不明になっていた2歳の男の子を見事発見して一躍時の人となった尾畠春夫さんです。この尾畠さんの行動力には感心、感動させられた方も多いかと思います。そして、尾畠さんが話す言葉も含蓄があって、何か心に刺さります、引っかかります。
…ということで、個人的に気になったテレビや新聞での尾畠さんの発言をまとめてみました。
まずは、尾畠さんの口から語られた経歴からです。
「昭和30年に中学を卒業したんです。30年から10年間は魚屋で別府で3年、下関で3年、神戸で4年。それで鳶職を3年して、別府に帰ってきて、魚屋を始めた。65歳の誕生日までやって、65歳が来たら辞めると決めていた。50年間働いた。それだけ社会の方にお世話になっているから、みなさんどなたでもいいから、困っている方がいたらお手伝いさせていただこうと心に決めた」
「これから残りの人生を社会に何かお返しさせてもらおうと思って、ボランティアを選んだんです」
65歳の定年でスパッと魚屋を辞めて、ボランティアの道に進んだ潔さ。尾畠さんの決断力、行動力がうかがえます。悩むより、行動せよですね。
「長男長女孫が5人」「今朝も息子が来て弁当を届けてくれた」
大分では1人暮らしとの事ですが、子供、孫に恵まれているようです。一方で
奥さんのことについては、次のように語っていました。
「奥さんは、5年前に用事があって出かけてまだ帰ってこない(笑)」
深刻な話かもしれませんが、明るく語るのが尾畠流です。
さて、2歳の男の子を山へ探しに行く時には、こんな事を語っていました。
「人間っていのは下に降りるよりも、上に上がる方が好きだから」「きょう会えそうな気がしたから」
子供から目を離した祖父は、「子どもは行動範囲が狭いはずなのに…」と落ち込んでいましたが、尾畠さんは過去の経験から、山での発見の予感を抱いていました。凄い…
「人の命は地球より重いと思っている。地球って星よりもきょうの●●君のような命の方が重い。あんまり難しいことは私は分からないですけども、命より大事なものはこの世にないんじゃないかと」
自己責任の四文字で見て見ぬ振りをする事も多い世の中ですが、尾畠さんは、諦めません。
「おまわりさんが、法律で私たちに渡してくださいっていうから、ダメですよって断った。家族の方と見つけたら、お渡ししますからって言ってあるから。だから私はなんぼおまわりさんだろうと、私が例え、罰を受けてもいいから、この子は必ず、家族の人に手渡しして渡そうて決めた。口で言ったのも契約だからな。言ったことは私は守らないと嫌だからね。なんぼ警察であろうが、大臣来ようが、関係ないです」
子供を発見した際には、母親の手に直接返しました、そこには約束があったと言います。尾畠さんは以前、同じように女の子を見つけ、警察に渡したところ、母親の手に渡る前に病院に連れて行かれた苦い経験から、直接、手渡しすることを決めていたようです。世の中には法律よりも約束の方が重いって事があるんです。
「子供渡した後、おじいちゃんから、中に入ってお風呂入って、ご飯も用意してあるからと言われたけど、私はダメですと。玄関開けて、中に入るという事、ボランティアとして失格だと思っている。だから家にも入らない。風呂、ご飯も一切頂かない。私はそれでいいと思う。尾畠春夫は自分のやり方がある。それを通しただけ」
「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻めという言葉がある」
いやー格好いいです。ボランティアをするからには、自給自足、迷惑をかけない…尾畠さんは自分を律し、徹底したマイルールを設けています。
「全部、車中泊です。お金ないもん」
年金を引き出して、愛車で現場に駆けつけるボランティア活動です。
「体力使います。疲れるなんて思ったらボランティアさせてもらえません」
「家にいる時は8キロ毎朝、走っているんです」
被災者にはどこまでも優しい眼差しです。
「日本は小さな島国だから、どんな災害が起こるか分からないけど、来たら来たで対応すればいいと思います。来るなって言っても来るんだから」
「地球って70億人、人がいるけどみんなに平均に朝は必ず来ますからね。今日は悲しいかもしれないけど、明日の朝になったら必ずあなたにも太陽が射しますから、夢を持って前へ行きましょうって私は聞かれたら言うんです」
「朝は必ず来るよと、振り向いたり立ち止まったりしないで、前へ前へと進みましょうと、一歩前進という言葉が好きです」
尾畠さんは直ぐに、広島豪雨災害のボランティア活動に戻りました。
「現役の間は続けさせてもらいます。もういいわって言われたらいけないけど、やってと言われたらどんな事でもします」
「これから先も1週間でも10日でも時間があればまたここに来て、やらせていただきます」
「またボランティアさせてもらいたいから」